先日、はじめて取材というものを受けさせていただきました。
取材ですから、インタビューを受け、
それに答えるカタチで自分の話をするのですけど・・
自分の話をしながら
自分自身が大事なことを再認識させられるという、
そんな貴重な体験をさせてもらいました。
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「葉っぱのステンドグラスを通して
今後何をしていきたいか、どうしていきたいか」
これがインタビューの締めの問いでした。
人に訊かれて気づいたこと。
あれれ?
今の私には
「こうしていきたい」というものがない。
これには自分でもちょっと面食らいました。
けれど心の内を紐解いてみると
どうやらそれはやりたいことがないとか、
どうしたいのかよくわからないということではなく、
そういう意図を持つ必要がないという意味のようなのでした。
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思えば活動を始めた当初は
「落ち葉の美しさをたくさんの人に伝えたい」
というようなことを考えていました。
当時作ったポートフォリオにもそんなことを書いていましたし、
それが自分の役割のようにも感じていました。
ところがそのうち心の中で何かが言うのです。
「そうじゃない」
落ち葉でステンドグラスを作るようになってから、
時々ふと心にコトバが浮かんで
私に大切なことを教えてくれることがあるのです。
葉っぱの神様・・の仕業かもしれません。
そのココロの声は私にこういいます。
「 落ち葉の美しさを伝えるために活動するという
行為そのものは大切だけれど、
落ち葉の美しさを伝えたいという理念を掲げることは
ただのあなたのエゴだから、それはいらない。 」
微妙なニュアンスだけれど、
それは大きな違いなのだそうです。
正しく活動していれば必ず必要な反応が返ってくるから、
「美しさを伝えたい」などというエゴな意図はいらない、というのですね。
「 葉っぱのステンドグラスは、
カタチにしているのはあなただけれど、
あなたがつくっているのではないんだよ。
自分のつくったもので人に何かを与えたいとか
何かを感じてもらいたいとか
そういうのはただのエゴ。
あなたの意図はいらない。
あなたは落ち葉から別の魅力を引き出して、
それをカタチにするための道具・媒体だよ。
落ち葉の意図をカタチにするための媒体。
もしもあなたがエゴのない媒体になりきることができたなら、
何かを意図しなくてもそれは向こうからやってくる。
だからこうしようああしよう、
こうなりたいああなりたいという意図は一切いらない。
正しい姿勢でいれば必要なものは揃うようにできているよ。 」
不思議なのはココロの声のいうことは
根拠もないのにいつでもストンと腑に落ちて
強い納得感があるのです。
その声は今回最後に
「流れなさい」
と付け加えました。
*
さて、今回の取材の
「今後どうしていきたいか」という問いに対して、
私はしばらく考えたあと、結局こう答えました。
「これからも発見をさせてもらいたい」
うん、本当に。
たとえ小さなことでも
「自分で発見した何か」は
生きるための大きなチカラになる。
コレだなぁ、私にとって欠かせないものは。
だから・・・
これからも葉っぱのステンドグラスを通して
新しい小さな発見ができたら・・
そして新たな出会いがあったら嬉しいのです。